小泉内閣が
国内唯一の原発耐震テストができる施設を撤去した。
朝日新聞(asahi shimbun) 〓@asahi
政府、東電の再建計画を認定 柏崎刈羽「7月再稼働」
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再稼働が想定より遅れた場合、
電気料金を最大で1割値上げすることも盛り込んだ。
以上引用
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こうして改めて見てみると、スゴイな、コイズミ
あ、まだ、『大量破壊兵器があると嘘ついて他国を爆撃した米国を支援、そして正当化』もありました。
さて、ねずみ男(舛添)は、第一次安倍内閣+福田内閣+麻生内閣の厚生労働大臣。
細川を推している小泉と管も厚生大臣出身
さあ、なんで一緒に細川推しているのかな??
原発反対派を宇都宮と細川で分裂させ、厚生労働省利権の舛添を東京都知事にするためかなあ。
12.16東京都知事選で、本当は宇都宮さんが圧勝してた票を細川に振り分けて誤摩化すためかな。
厚生労働省利権と原発利権は、完全に重なりますね。
では、ちょっとだけその証拠を
石川 一郎(いしかわ いちろう、明治18年(1885年)11月5日 - 昭和45年(1970年)1月20日)は、日本の財界人、経営者。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任、昭和23年(1948年)〜昭和31年(1956年))。
昭和16年(1941年)に産業統制によって発足した日産化学工業社長に就任。昭和17年(1942年)化学工業統制会会長(のちに化学工業連盟会長)に就任し、名実ともに戦前における日本の化学工業界のリーダーとなる。
戦後、化学工業界から、日本経済の中心へ踊りだす。昭和21年(1946年)日本産業協会(日産協)会長、昭和23年(1948年)に発足間もない経済団体連合会(経団連)初代会長に就任した。石川は技術畑で謹厳な性格でもあり、東大助教授出身の学究肌で、近代的な合理性を兼ね備えた経営者であるとして、石川の経団連会長就任に当たっては、新しいタイプの財界指導者の出現と評価された。日本経済が敗戦の混乱にあるとき、経営者の結束を図り協調と共存共栄を説いて回った。政治性に欠けるという批判もあったが、混乱期の日本経済復興にあたっては、石川の私心のない誠実な人柄はかえってプラスに働いたと評される。経団連会長就任の背景は、当時、「一万田法王」として日本経済に君臨していた一万田尚登日銀総裁との親密関係の賜物であったとされる。経団連会長時代は、GHQに占領されていた前期と、講和発効後の後期に分けられる。前期は、賠償、財閥解体、独占禁止法の制定など戦後の経済民主化において日本経済がうまく対応できるようにすることが課題であった。石川はこの間、GHQと折衝し、日本経済界の意見を反映させるように努力している。後期は、防衛産業の育成に力点を置き、経団連に防衛生産委員会を発足させ、国産兵器生産に道を拓いた。この間、昭和24年(1949年)には、昭和電工会長、昭和26年(1951年)には、東京電力取締役に就任している。昭和31年(1956年)1月経団連会長を石坂泰三に譲り、退任する。
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