なぜ今まで不正選挙の可能性に気付かなかったのか? ―
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のつづき
まず、以下の得票を見ていただきたい。
第二次大戦後すぐの衆院選における自民党系の得票数である。
党派 得票数 得票率 議席
1946
日本自由党 13,505,746票 24.36% 141(4)
日本進歩党 10,350,530票 18.67% 94(6)
total : 23,856,276票
1947
日本自由党 7,312,524票 26.73% 131
民主党 6,960,270票 25.44% 124
total : 14,272,794票
1949
民主自由党13,420,269票 43.87% 264
新自由党 187,232票 0.61% 2
total : 13,607,501票
(注 ひとつ 民主党の得票を見落としていました=当時社会党と連立を組んでいて、民主自由党の対抗勢力だった) 4,798,352票 15.68% 69)
これを足すと 18,405,853票
1952
自由党 16,938,221票 47.93% 475 240
改進党 6,429,450票 18.19% 209 85
total : 23,367,671票
前回、1952年の衆院選において、自民党の得票が、突然1000万票増え、そこから全く動かなくなったと書きましたが、こうやって表にすると、戦後第一回の衆院選の23,856,276票が、その後の衆院選で1000万票減り、それが元に戻ったように見えます。
筆者も、最初はそう思いました。
しかし、これは、数字のトリックであることが分りました。
以下をご覧下さい。
第1次吉田内閣が誕生した、戦後初の普通選挙の詳しい結果です。
第22回衆議院議員総選挙
投票日 1946年4月10日
内閣 幣原内閣
解散日 1945年12月18日
改選数 466人
選挙制度 大選挙区制(制限連記制)
有権者 36,878,420( 男性:16,320,752 女性:20,557,668
投票率72.08% (前回比‐11.08%)
男性:78.52% (前回比‐4.64%)
女性:66.97%
白票や無効票を除いた実質投票率:63.38%
党派別獲得議席
政党名 得票数 得票率 議席数 議席内訳
日本自由党 13,505,746 24.36% 141(4)
日本進歩党 10,350,530 18.67% 94(6)
日本社会党 9,924,930 17.90% 93(8)
日本協同党 1,799,764 3.25% 14(0)
日本共産党 2,135,757 3.85% 5(1)
諸派 6,488,032 11.7% 38(11)
無所属 11,244,120 20.28% 81(9)
合計 55,448,879 100.00 466(39)
wikipedia
GHQ統制下の最初の選挙は、いきなり、有権者より得票数が多いぞ、何だこれ??
有権者 36,878,420人に対し、得票数の合計が55,448,879票もあります。
おまけに、無効票・白票が8.7%もあります。
これは、制限連記制(せいげんれんきせい、英語:limited voting)は、選挙人が選挙区の定数より少ない複数の票を投じる投票制度である。最も多くの票を獲得した候補が当選である。wikipedia
だそうです。
なので、有権者が2票入れることが出来た。
なるほど。
で、白票が10%くらいあることから分るように、かなりバタバタの選挙だったようだ。
戦後直ぐで、しかもGHQ統制下なので、当然100万票単位での不正なども考えられるが、まあ、とにかく選挙してみないと、どうなるか分らないから選挙はやったと考えられる。
一応、各党の半分くらいが実質的な票数だろう。
23,856,276÷2=11,928,138+@くらいが、自民系の得票数ということになるだろう。
そうすると、実際の得票は。。
1946
日本自由党 13,505,746票 24.36% 141(4)
日本進歩党 10,350,530票 18.67% 94(6)
÷2=total : 11,928,138+@
ということになりますね。
さて、この2倍の得票である、戦後第一回の衆院選の23,856,276票ですが、その後、自民党の絶対得票のベースになった
1952
自由党 16,938,221票 47.93% 475 240
改進党 6,429,450票 18.19% 209 85
total : 23,367,671票
に、そっくりですよね ^ ^
あとから数える時に、不審に思われないように合わせたのかもしれませんね^ ^
で、その次
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