Jリーグを巡る冒険
2014-01-02


サッカー

ただいま、1月4日から始まるセールの準備でこんなこと書いてる場合じゃないのだが(笑)息抜き


元日といえば天皇杯サッカーですが、予想通り、勝ったのは、横浜Fマリノス

なんで勝つと思ったか?って??

そりゃ、国立競技場は信濃町ですから。
中村俊輔はホームなのです。


なので不思議に中村俊輔にマンマークが付かないんだな、これが。。

ちなみに、前回のワールドカップの監督の岡田武は、古河閥で、早稲田閥でした。


本田がCSKAモスクワ(ロシア陸軍サッカーチーム)に移籍すると、主力に定着し、○○学会に支援された中村俊輔が出れなくなったんでしたよね。

そういえば、岡田監督は、民主党の20ミリシーベルト鈴木寛を応援してましたね。




不思議といえば、徳州会の裏金で辞任した猪瀬直樹は、東電病院の売却先を徳州会にしようとしたとか。
そんな権限があるのかね??

ちなみに、徳州会はTPPに反対してたから、徳州会潰しを利用してあれこれやってるのだろけど。。



ところで、地図を見れば分かるが、東電病院は信濃町の、まさに大作会館の一部にあるわけです。


慶応病院や東電病院では、さぞ不思議なことが起きるんでしょうねえ。。

放射性被害にあった人が不思議な病名が付くとか、いろいろ。


2013年の人口減は23万人だそうです。



そういえば、石原慎太郎の弟は、慶応病院でオウムの林に手術を受けたんだっけ。。



さてJリーグの話に戻ります。

『ちきゅう号』の海洋研究開発機構の場所を調べていたら、横浜Fマリノスの親会社『日産』の工場の隣にあるのです。
もちろん横須賀

何でだろ??

日産といえば、鮎川義介なのだが


弐キ参スケ(にきさんすけ、2キ3スケ)とは、満州国に強い影響力を有した軍・財・官の5人の実力者のこと。

以下の5人の実力者を指す。「弐キ参スケ」は彼らの名前の末尾からつけられた。

東條英機(とうじょう ひでキ、在満期間:1935年〜1938年 離満前役職:関東軍参謀長)
星野直樹(ほしの なおキ、在満期間:1932年〜1940年 離満前役職:国務院総務長官)


鮎川義介(あいかわ よしスケ、在満期間:1937年〜1942年 満業(満州重工業開発株式会社)社長)

岸信介(きし のぶスケ、在満期間:1936年〜1939年 離満前役職:総務庁次長)

松岡洋右(まつおか ようスケ、在満期間:1921年〜1930年、1935年〜1939年 離満前役職:満鉄総裁)


岸信介が、不正選挙偽首相のアベッチの祖父ね


で、


鮎川 義介(あいかわ(本名は「あゆかわ」[1] [2] [3]) よしすけ、 1880年〈明治13年〉11月6日 〓 1967年〈昭和42年〉2月13日)は、日本の実業家、政治家。日産コンツェルン創始者。満州重工業開発株式会社総裁、貴族院議員、帝国石油株式会社社長、石油資源開発株式会社社長、参議院議員などを歴任した。

明治の元勲・井上馨の姪を母とし、旧長州藩士・鮎川弥八(第10代当主)を父として、山口県氷川郡大内村(現在の山口市大内地区)に生れた。



日産コンツェルン(にっさんコンツェルン)は、日本の財閥で十五大財閥の1つである。鮎川財閥とも呼ばれる。日立鉱山(久原鉱業、 日本鉱業、 ジャパンエナジー、 新日鉱ホールディングスを経て現在のJXホールディングス)を源流として、機械・銅線部門を独立させての日立製作所などを加え、持ち株会社・日本産業のもとにコンツェルン化した戦前の財閥。戦後は、その自動車部門であった日産自動車が日産の名を残す後継企業としては最も大きいため、現在は同社のグループのみを指してを日産グループと呼ぶことが多い。


wikipedia


日産の大元はこれ



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