吉田有希ちゃん殺害事件と児童ポルノ法と言論統制と原発、117そして311
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の つづきです。
誰でも逮捕出来る平成の治安維持法(日本、戦争国家への道)
児童ポルノ所持を禁止 法改正案提出へ
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これに合わせて、吉田有希ちゃんの事件が展開したのは自明なのだが。。
こんなニュースがありまして
以下引用
「解決すると伝えたい」 校長、有希ちゃんに
2014.6.3 19:51 [殺人・殺人未遂]
吉田有希ちゃん=当時(7)=が通っていた栃木県の日光市立大沢小学校の大塚武夫校長(58)は記者会見し「不安が解消され、良かったなという気持ち。有希ちゃんの墓前で手を合わせて『解決するんだよ』と伝えたい」と話した。大塚校長は「そばに犯人がいるかもしれないという見えない不安が絶えずあった。早く解決してほしいという思いと、子供たちを安全に下校させなければとの思いがあった」と振り返った。
以上引用
sankei.jp.msn.com/affairs/news/140603/crm14060319510015-n1.htm
日光市立大沢小学校に通ってたのか。。
以下、事件の概要を引用
事件の概要
2005年12月1日(木)の14時15分頃、吉田有希ちゃん(事件当時7才)は同級生の友だち3人と旧今市市立大沢小学校を下校した。普段は2年生の姉や上級生と集団下校していたのだが、この日(木曜日)は授業の関係で一緒でなかった。
中略
この日の服装は、灰色のフード付きのパーカーを羽織り、紺色のジーパンをはき、ピンク色の運動靴を履いていた。頭に黄色の通学用のベレー帽を被り、背にお気に入りの赤いランドセルを背負っていた。ランドセルには学校指定の防犯用の青いブザーをぶら下げており使用方法も心得ていた。
この数日前(2005.11.22)、広島で木下あいりちゃん(事件当時7才)が下校中に殺害されるといういたましい事件が起きていたのでだれもが普段より神経を尖らせていた。
家までの距離は約2キロである。1キロほど行くと友だちと別れるY字路に着く。
有希ちゃんは独りで左へ、友だち3人は右へと曲がる。
このY字路(旧今市市土沢の市道)付近は変質者が多発することから「魔の通学路」として知られていた。沿道には民家が点在しているが留守にしている家が多く、特にY字路付近は林道となっていることから日中でも薄暗いうえに人通りが少ない。
この通学路について住民のひとりは「大人が昼間に車で通過するのも嫌なほど不気味な道」と話し、地元の女子中学生も「一人では絶対通りたくない。通るときは自転車で突っ走る」とその不気味さについて語っている(読売ウイークリー 2005.12.25)。
14時50分頃、有希ちゃんたちはこのY字路に着いた。
いつもここまで迎えに来てくれる祖母の姿がなかったので有希ちゃんは心細かったにちがいない。
茨城天文台の観測によると、この日の日没は16時27分である。
日中でも薄暗い場所であればかなり暗くなっていたはずである。
それでも有希ちゃんは気丈に振舞っていた。友だちが普段と変わりなかったと話しているからである。
そしていつものように別れると有希ちゃんは独りで歩き始めた。友だちが心配して「森の方には行かないでね」と声を掛けると、振り返ってうなずき、また歩き始めたという(読売 06.11.30)。
有希ちゃんはこの後に行方が分からなくなったのである(T字路の件は「資料」の項でふれる)。
以上引用
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では、ここで地図を見てみましょう。
日光市立大沢小学校から、日光市(今市市)土沢に向かいます。
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