サッカー日本代表監督を考える。以降U20ワールドカップに出れなくなった2007年に何が起きたのか??
2015-02-27


サッカー日本代表監督を考える。日本のサッカーはなぜ強くなり、そして弱くなったのか? ―
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のつづきです。


では、U20日本代表が、以降U20ワールドカップに出れなくなった2007年に何が起きたのか??


オシム監督が倒れたのでしたっけ。。

イビチャ・オシム(Ivica Osim、Ивица Осим、本名 イヴァン・オシム, Иван Осим、1941年5月6日 - )は、ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォ出身のサッカー選手、指導者。愛称はシュワーボ。なお、より原音に忠実な表記はイヴィツァ[1]。
旧ユーゴスラビア代表の最後の監督であり、日本でもジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表で監督を歴任するなど、世界各国で豊富な指導歴を持つサッカー指導者である。

2006年 - 日本代表監督に就任。
2007年11月16日 - 千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れ、千葉県内にある順天堂大学医学部附属浦安病院に緊急入院[4]。一時危篤状態に陥ったが奇跡的に一命を取り留め意識も回復。しかし、監督を続けられる状況ではなくなったため退任し、後任には岡田武史が就任した。


なるほど〓

U20ワールドカップに出場出来なくなった時期は、
オシムさんが病気になって、岡田さんのオトモダチ達が、『サッカーの日本化』といって特殊なサッカーをし始めた時と一致してますね。


オシム氏は、サッカーの日本化という事を言っていたが、途中で病に倒れてしまい、後を岡田監督を中心としたメンバーが、『サッカーの日本化』を進めたのである。

オシム氏は、『考えて走れ』と言っていたのだが、岡田武監督は、
”接近・連続・展開”と言い出した。



日本代表の岡田監督が掲げるサッカーがどこから出てきたか?

引用しましょう。

「2002年のFIFAワールドカップでは、韓国が4位になっています。日本代表が同じように世界を驚かせるにはどうしたらいいのか。今までのように、欧州や南米の後ろを同じ方法で追いかけていては、近づくことは出来ても追い越すことは出来ません。追い越すためには別の道を行く必要があると感じています。これまで別の道はないと言われてきました。

(中略)

そうやって日本人の特徴、いいところを考えた時に、一つの言葉が浮かんできました。早稲田大学の先輩で、ラグビーの日本代表監督を務めたこともある大西鉄之裕さんが掲げた”接近・連続・展開”です。

(中略)

例えばディフェンスをする時に、身体が大きくてスピードのある相手を待ち受けていても、抑えることは出来ない。組織を作って待っているだけのディフェンスでは、とても耐えられない。だから”接近”する。相手に食らいついて、ボールがあるところに常にプレスをかける。そしてマイボールになったら、今度は相手とのコンタクトを避けて”人とボールを早く動かし”素早く”展開”する。この時に、1対1の勝負では恐らく勝てない。それならば、2対1、3対1の状況をあちこち作ればいい。そのために相手より早く、多く走る。こしたサッカーを何度も繰り返す。”連続”して仕掛けるのです。日本代表が世界で勝つための方法は”接近・展開・連続”だと考えています。」

引用終わり 公式パンフレットから


以下筆者の意見(当時のブログから引用)


ラグビーワールドカップ日本代表の成績ですが

1987年
0勝3敗

1991年
1勝2敗

1995年南アフリカ大会
0勝3敗

1999年ウェールズ大会
0勝3敗

2003オーストラリア大会
0勝4敗

2007フランス大会
0勝1分け3敗


あの、1勝しかしてないですが、しかも18敗
全く歯が立たないというか、なんか根本的に間違ってないですかね??




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