覚せい剤と戦争その1 ヘロインと米西戦争 マニフェストデスティニー
2015-05-16


さて、戦争はなぜ起きるのか?考えた時に、当ブログが前から言っているのは、薬物によって脳がぶち壊されるから殺人マシーンになるのだという事です。


戦争は、薬物が引き起こすものです。

以下、検証していきたいと思います。

まず、覚せい剤の王と呼ばれるヘロインから


以下は、ヘロイン wiki

ヘロイン (heroin, diamorphine) は、アヘンに含まれるモルヒネから作られる麻薬。塩酸モルヒネを無水酢酸で処理し、生成する。正式には、3,6-ジアセチルモルヒネ (3,6-diacetylmorphine)。組成式は、C21H23NO5。CAS登録番号は、561-27-3。

依存性の極めて強い麻薬であり、日本国内では麻薬及び向精神薬取締法によって、その製造・所持・医療目的を含め、規制対象となっている。現存するあらゆる薬物の中で「快」の面でも「悪」の面でも最も高峰に位置するものとして、「薬物の王者」(The king of drug) の代名詞を持つ。

ロンドン・セントメアリー病院医学校のアルダー・ライトによって1874年に調合され、ドイツのバイエル社から鎮咳薬として1898年に発売された。名称はギリシャ語の「ヘロス」(h〓r〓s、ヒーロー)に由来する。当初は経口投与が一般的であり、モルヒネよりも依存性は低いと考えられていたが、注射器による投与が広まると、単純にモルヒネよりも脂溶性が高かったため、多く脳に取り込まれ、強烈な麻薬作用を引き起こすことが判明し、各国にて相次いで厳しく規制されることとなった。

ヘロインはその使用者に対して肉体面での依存症と精神面での依存症の両方を形成する。
その肉体面における依存、いわゆる禁断症状としては、身体中の関節に走る激痛、小風に撫でられただけで素肌に走る激痛、体温の調節機能に生じる狂いによる激暑と酷寒の体感の数秒ごとの循環、身体中に湧き上がる強烈な不快感と倦怠感、などが挙げられる。

wikipedia



では、ヘロインが販売された1898年の年表を見ていきたいと思います。


1月
1月1日 - 沖縄県が徴兵令の対象となる (入営12月1日)
1月12日 - 第3次伊藤内閣成立
1月13日 - エミール・ゾラがドレフュス事件に関する公開質問状を掲載("J'accuse")
1月20日 - 元帥府条例公布

2月15日 - ハバナ湾で米海軍の戦艦メイン (ACR-1)が爆発し沈没(米西戦争の一因)
2月15日 - 大師電気鉄道(後の京浜急行電鉄)創立
2月24日 - 日本鉄道の機関手四百名が同盟罷工(日本初の鉄道スト)
2月26日 - 児玉源太郎が台湾総督に就任

3月6日 - 独清条約調印(ドイツ帝国が膠州湾を清より租借)
3月15日 - 第5回衆議院議員総選挙
3月22日 - 時事新報が社説「支那人親しむ可し」を掲載
3月27日 - ロシア帝国が関東州を清から租借

4月22日 - 米西戦争: 米海軍がキューバの海上封鎖を開始
4月24日 - この年の4月22日に行なわれた日本の要求に基づき清が福建省の不割譲を宣言
4月25日
西・ローゼン協定
米西戦争: 米国がスペインに宣戦布告
4月30日 - トラピスチヌ修道院創立

5月1日 - 米西戦争: マニラ湾海戦
5月14日 - 第12特別議会召集
5月27日 - フランス共和国が広州湾を清より租借

6月6日
米西戦争: 米軍がグアンタナモ湾に侵攻
英国が九龍半島を清から租借(7月1日発効)
6月11日(光緒24年4月23日)- 清、戊戌の変法運動が起こるが、戊戌の政変により失敗
6月12日 - フィリピンのエミリオ・アギナルドが独立宣言
6月20日 - 米西戦争: 米軍がグアム島に侵攻(翌日占領)
6月25日
保安条例廃止
第3次伊藤内閣総辞職
6月30日 - 第1次大隈内閣成立(隈板内閣)

7月1日 - 英国が威海衛を清から租借
7月3日 - 米西戦争: サンティアゴ・デ・クーバの戦い、アメリカ海軍がスペイン艦隊を撃破しキューバ近海の制海権を獲得
7月16日 - 明治民法の家族法が施行され、日本の家族制度が夫婦別姓から夫婦同姓へはじめて移行する

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