1971年から1979年までブルー・リッジはサンディエゴを母港とし、第7艦隊の揚陸部隊旗艦として西太平洋に展開した。ベトナム戦争中の1972年6月28日にはグエン・バン・チュー南ベトナム大統領がアメリカ海軍将官との会議のため乗艦した。7月18日にはタイガー島での活動に対して戦闘行動章が与えられた。また、8月9日にはベトナムでの作戦活動に対して戦闘効率章が与えられた[3]。1973年にも北ベトナム海域での支援活動に対してベトナム戦役メダルが与えられた[4]。
1975年4月のサイゴン撤退では多くの功績を挙げ、グエン・カオ・キ元南ベトナム副大統領の脱出にも貢献し優秀部隊勲功章および海軍部隊勲功章を受章した[5]。
1979年10月以来「ブルー・リッジ」は第7艦隊旗艦として神奈川県の横須賀港を母港としている。「ブルー・リッジ」は毎年西太平洋およびインド洋での訓練演習に参加している。同艦は湾岸戦争時、砂漠の盾作戦および砂漠の嵐作戦に旗艦として9ヶ月半参加した。
ブルー・リッジはしばしば日本、香港、シンガポール、インドネシア、マレーシア、タイおよびオーストラリアを含む西太平洋およびインド洋の港を訪問している。1989年と2004年には中華人民共和国の上海を訪れた。また1996年と2003・2006年にはロシアのウラジオストクを訪問している。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に際しては、寄航中のシンガポールから補給物資を積み込み、日本に向けて急遽輸送任務に就いた。
wikipedia
米軍横須賀所属の第七艦隊の陸上揚陸艦ブルーリッジは、憲法違反の日米新ガイドライン制定の時に、米中合同演習を実施 してました
[URL]
で、秋は何なの??
ちなみに、311は、米韓合同演習フォールイーグル(まだ飛べない若い鷲)が3月10日まで
その前日の3月9日に、米国の深海掘削船『ジョイデスリソリューション号』が深海掘削した海域で起きた地震をきっかけに、米韓合同演習フォールイーグル(まだ飛べない若い鷲)の翌日に発生
空母ロナルド・レーガン打撃群が地震の翌日に現場海域に出現している。
しかも、この空母は、通常は極東の任務ではなく、たまたま横須賀基地の空母ジョージワシントンが整備中であったため、中東方面へ交代任務のためにやってきていた。そして、米韓合同演習に参加中だった空母エイブブラハム・リンカーンが3月10日(東京大空襲の日)にパールハーバーに寄港するわけだが、それと入れ替わるように、三陸沖に現れたのである。
そして原子力の専門家数十名を引き連れて『トモダチ作戦』のためにやってきた
空母ロナルド・レーガンは、1月6日にサンディエゴ港を出航し、次の航海のための事前訓練を終えた後、2月2日に再びサンディエゴ港を出航し、3月12日に三陸沖に現れた。
空母ロナルド・レーガン打撃群には、攻撃型原潜 ロサンジェルス級が付随しているはずだ。空母とは別行動でね。
空母打撃群はウィキペディアに詳しく有るが。
大型空母 (ニミッツ級) ×1
F/A-18E/F 戦闘攻撃機 戦闘攻撃飛行隊3個(39-45機)
F/A-18C/D 海兵戦闘攻撃飛行隊 1個(12機)
E-2C ホークアイ早期警戒機 1個飛行隊 5機
EA-6B プラウラー電子戦機 1個飛行隊 5機
C-2 グレイハウンド輸送機 1個分遣飛行隊 3~6機 (常時搭載では無い)
SH-60F オーシャンホーク哨戒ヘリコプター及びHH-60救難ヘリコプター 1個飛行隊 12機
SH-60Bシーホーク対潜ヘリコプター若干数(LAMPS Mk III 、非搭載の場合あり)
タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦 ×1
GCCS-M, NTDS, Mk 37 TWS, Mk 7 AWS, SQQ-89, Mk 41 VLS (122セル), LAMPS Mk III
アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 ×2
GCCS-M, NTDS, Mk 37 TWS, Mk 7 AWS, SQQ-89, Mk 41 VLS (90/96セル), LAMPS Mk III
ロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦 ×1
GCCS-M, BSY-1 ASWCS, Mk 36 TWS
サプライ級高速戦闘支援艦 ×1
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