2015-09-17
安全保障関連法案は17日午後の参院平和安全法制特別委員会で、自民、公明両党などの賛成多数で可決された。 そうですが、やっぱりね。
で、チリ地震の津波ですが、気象庁からはこんな発表が
以下引用
気象庁 津波注意報相当の津波到達の可能性
9月17日 16時54分
南米チリ中部の沖合で発生したマグニチュード8.3の巨大地震で、チリ沿岸の検潮所ではこれまでにところによって5メートル近い津波が観測されています。気象庁は18日、津波注意報に相当する高さの津波が日本に到達する可能性があるとして、今後の情報に注意するよう呼びかけています。
気象庁によりますと、日本時間の17日午前7時54分ごろ南米チリ中部の沖合を震源とするマグニチュード8.3の巨大地震がありました。
ハワイにある太平洋津波警報センターから気象庁に入った連絡によりますとこの地震で、これまでに南米チリの沿岸のコキンボの検潮所で4メートル80センチ、バルパライソの検潮所で1メートル60センチの津波を観測したほか、このほかのチリの多くの検潮所で1メートル前後の津波を観測しました。
また、チリの沿岸からおよそ3000キロ離れたイースター島でも20センチの津波が観測されました。
気象庁は17日午後4時半から記者会見し現段階のシミュレーションでは、18日、日本の太平洋沿岸に津波注意報に相当する、高さ20センチから1メートルほどの津波が到達する可能性があると説明しました。
そのうえで、18日の午前0時ごろのハワイの検潮所などの観測データを分析して津波注意報を発表するか最終的に判断するとしています。
記者会見した気象庁の長谷川洋平地震津波監視課長は「津波注意報などを発表する場合にはあすの午前2時半ごろから午前3時ごろになる可能性がある。津波注意報が出た場合には速やかに海岸から離れることが必要だ。今後、発表される情報に注意してほしい」と話しています。
以上引用
3.nhk.or.jp/news/html/20150917/k10010238891000.html
1960年のチリ地震で三陸沖で死者140名におよぶ大規模な津波被害が発生したわけですが、どうも日米安保条約締結と平行して起きていたようです。
以下年表1960年
5月13日朝までに衆参両院が受理した安保反対請願書は15万7千余通、署名は255万8千人分。
5月14日、「安保改定阻止国民会議」10万人の請願デモ。
5月19日、衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決
5月20日、衆議院本会議通過
5月22日19時11分(日本時間:昭和35年5月23日04時11分)にチリ沿岸に巨大地震が発生しました。震央位置は南緯41.0°西経73.5°、地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.5(モーメントマグニチュード(Mo)は9.5)
5月23日午前2時30分〓三陸沖に津波到達最大6.3メートル
津波警報は、津波到達の2時間後で被害拡大
日本の主な被害
死者行方不明142名、負傷者855名、建物被害46,000棟、罹災者147,898名、罹災世帯31,120世帯、船舶被害2,428隻、木材流失19,290?、道路損壊45箇所、橋梁流失14箇所、堤防決壊34箇所などのほか、養殖、定置網などさまざま地域で大きな被害
というわけで、日米安保条約に合わせてチリ地震が911な時間に起きて、日本に津波が来て、安保法案から目を逸らせたのだということでしょう。
今回も全く同じパターン。
911といえば、チリの軍事独裁者ピノチェトクーデターも911でしたよね。
これが、新自由主義政策の始まりと言われています。
ショックドクトリンです。
では、もう少し詳しく1960年チリ地震を見てみよう
以下引用
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