日本人が出来るまで 温暖化による海水面の上昇が、異なる民族を出逢わせ、縄文文明が誕生した。
2016-01-17


日本はいつ出来たのか?土器の誕生と日本人の誕生
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のつづき

様々な花粉などの調査から、東アジアの温暖化は、西アジアや欧州の温暖化に比べて格段に早いスピードで温暖化したことが分かっています。

それは、どのように起きたのでしょうか?


日本が形成され始めるのは、およそ18000年前から始まる間氷期の温暖化においてだ。

様々な調査により25000年前から18000年前は、氷河期の中でも最も寒い時代であったことが分かっている。

当時、ユーラシア大陸とアメリカ大陸には巨大な氷床があり、現在よりも水面が100メートル以上下がっており、日本列島は大陸と陸続きだった。

そして、日本海のかなりの部分は結氷していたと考えられている。

そのため、現在とは違って、日本は大陸の東岸における大陸性の気候だった。

当時の地層の花粉分析から、日本列島の大部分は、ツガやトウヒなど亜寒帯の針葉樹林で覆われていたようだ。


当然の事ながら、この大陸と陸続きの日本にも人間が居た。そして、サケマスも河川を遡っていたはずだ。

なので、秋に河川を遡ってくる鮭を獲得しようとして、ハンター達が多く日本を訪れていたはずだ。

しかし、当時の日本の森林は亜寒帯の針葉樹林であり、森林資源の食料に乏しい。
季節性の食材だけで定住するには、魅力が乏しい土地が多かっただろう。

もちろん、魚介類は豊富にあったはずなので、ある程度の人口は居たはずだが、通年に渡って居住可能な土地は、太平洋沿岸の西側だったのではないかと考えられる。


これが、間氷期の地球温暖化によって変化していくことになる。


地球がなぜ温暖化したのか?については、様々な仮説があり、完全には解明されていない。

しかし、概ね10万年の氷河期と1万年の間氷期を繰り返すリズムがあるらしいことは分かっている。

現在は、1万年の間氷期の末期付近であると考えられている。


地球が温暖化し、大陸の氷床が溶けた。
その結果としてまず何が起きたのか?というと、氷河期の時代に陸地になっていた土地の水没が始まったのだ。

特にそれは東南アジアの『スンダランド』からオセアニアにかけての『サフルランド』において顕著だった。

今まで半島だった部分の水没が始まり海峡が出来た。
するとどうなったか?

赤道付近の強烈な太陽の熱で暖められた海水が、海峡を通って急激に太平洋岸を北上し始めた。

黒潮の誕生である。

筆者は磯釣りをよくするので、海面の上昇にはとてもくわしい。

海面は毎日付きの満ち干にしたがって上下を繰り返している。

上げ潮の時、ひとたび海水が陸地に流れ込み出すと、一気に濁流が出来、それまでと違った潮の流れが出来ることを筆者は経験的に知っている。

海面が上昇して海峡が出来たことによって急激な潮の流れが誕生したのは間違いない。


黒潮の誕生によって暖かい海水が北上して接岸した結果何が起きたのか?

東アジア太平洋岸北部に存在した氷床が溶け始めた。

すると、ますます海面が上昇し、その結果として東南アジアの『スンダランド』からオセアニアにかけての『サフルランド』で複数の海峡が生まれる。


すると、さらに赤道付近からの暖かい海水の流れが大きくなり、また東アジア沿岸北部の氷床を溶かすという正のフィードバックループが誕生したのである。

この流れによって、日本列島が大陸から完全に切り離され、北海道や本州、九州、四国という現在の日本列島が出来る。

9000年前くらいには、今の日本列島とほぼ同じような構造になたと思われます。



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