2016-03-23
ブリュッセルでテロだそうですが。。
以下引用
英BBCによると、爆発は空港内のアメリカン航空出発カウンターの近くで起き、空港の天井やガラスが広い範囲で吹き飛んだ。空港は逃げ惑う人々で一時、パニック状態になった。ベルギーのメディアによると、爆発の前に現場で銃声とアラビア語の叫び声が聞こえたとの情報や、自爆テロだったとの報道もある。
ブリュッセル空港の公式ツイッターアカウントは、「空港に来ないように」と呼びかけている。航空便はキャンセルされ、利用客は避難したと伝えている。
地下鉄での爆発は空港での爆発の約1時間後、EU本部に近いマルベーク駅で起きた模様。別の駅でも爆発が起きたという情報がある。ブリュッセルの地下鉄は停止し、すべての駅が閉鎖された。バスも運行停止し、交通網がマヒ状態に陥った。英国と欧州本土を結ぶ高速鉄道ユーロスターのロンドン発ブリュッセル行きも停止している。
ベルギー内相はベルガ通信に対し、国内全土でテロ警戒レベルを最高に引き上げたと明かした。
以上引用 以下全文は
asahi.com/articles/ASJ3Q5G9VJ3QUHBI01W.html
911もアメリカン航空だったよね。
ということは、背景が一緒なんだろうね。
アラブ語が聞こえたとか、自爆テロとか、もう飽きた。
ISISは、元々はアルカイダで、CIAが育てたNATOの特殊部隊と関連テロリストのことです。
ブリュッセルには、NATOとEUの両方の本部があります。
ISISにベルギー人が多かった理由は、NATOの特殊部隊の要員がISISとしてシリアに派遣されていたためでしょう。
なので、内側にテロリストが居るので防ぐのが難しいのだと思います。
櫻井ジャーナルさんの見方が鋭いです
以下引用
爆破事件のあったブリュッセルにNATO本部があるのは危険性を知ったド・ゴールが追い出したから
3月22日の爆破事件で37名以上が死亡したというブリュッセルはベルギーの首都であると同時にNATO本部の置かれた都市でもある。NATOが創設された当初、SHAPE(欧州連合軍最高司令部)はパリに置かれていたのだが、1966年にフランス政府はNATOの軍事機構から離脱を決め、翌年にはSHAPEをパリを追い出している。その当時のフランス大統領はシャルル・ド・ゴールで、アメリカとは一線を画す姿勢を見せていた。
フランスでは第2次世界大戦後、早い段階でアメリカがヨーロッパを支配する仕組みを作っていることに気づいていた。例えば、1947年に誕生した社会党系の政権は、政府を不安定化することを目的とした右翼の秘密部隊が創設された主張している。その年の7月末か8月上旬には米英両国の情報機関に操られた秘密部隊が「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずだったと言われている。
このクーデターが計画された当時、フランスの情報機関SDECEはCIAにコントロールされていたようだが、ド・ゴールが大統領になると自立する。1961年には反ド・ゴール派の秘密組織、OAS(秘密軍事機構)が創設され、アルジェリアでのクーデター計画が話し合われている。アルジェリアの主要都市を支配し、パリを制圧するという内容で、4月に決行されるが失敗する。ド・ゴールは計画の背後にアメリカの情報機関がいると判断した。
本ブログでも指摘してきたが、1961年にアメリカ大統領となったジョン・F・ケネディは情報機関や軍の好戦派と対立、フランスでの動きに関しても、ジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。アルジェリアを拠点にしてクーデター軍がパリへ攻め込んだ場合、ケネディ大統領はアメリカ軍を投入するという意思を示したわけで、CIAは驚いたようだ。(注1)
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