日本の朝鮮併合と朝鮮の独立運動を作った米陸軍・ピューリタン・FRB人脈
2016-05-25


ヘイトスピーチ禁止法だそうですが、本日は、その裏側を歴史を見て勉強したいと思います。


(アメリカ先住民が大量虐殺された)南北戦争に従軍したアメリカ陸軍の士官が熊本で士官学校を作ろうとしたのが熊本洋学校で、その卒業生がアメリカンボード(ピューリタンの会衆派=ブッシュやヒラリーのイェール大学と同じ)の支援を受け、国家主義者となり、朝鮮半島を併合してキリスト教化しようとした。
しかも、神社に行くことを朝鮮半島の人に強制した。


アメリカ先住民虐殺の歴史とアジアの戦争を繋ぐものとは? ―
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のつづきです。


さらに調べてみました。

以下引用

組合教会の朝鮮伝道
  
朝鮮伝道は日本の教会が自らの手で海外伝道を行なった最初の試みであった。(63)1876年に日本が朝鮮に開国を強要して以来、両国間の関係は良かったとは言えず、平和が必要であると考えたメソジスト教会宣教師の訴えが同教派による朝鮮伝道の一因となっている。1904年に日本基督教会(長老派教会)、次いで、美以教会(メソジスト教会)が朝鮮伝道を始めている。

組合教会は1904年6月に韓国京城で伝道を開始し、創持省吾を主任として派遣、翌1905年には平壌に山田兵助を派遣し、教会を設立し洗礼式を執行していた。(64)
そもそも海老名は日露戦争の頃から、朝鮮合併論を唱え、朝鮮人の偏狭な民族意識をなくし、朝鮮人を教化しなければならないと考えていた。1910年の第26回総会における信徒大会で公式に朝鮮伝道実行委員会が組織され、同年、海老名弾正の弟子であり、組合教会伝道幹事で牧師であった渡瀬常吉が朝鮮伝道を行うに至ったが、1919年1月に発表した「新時局伝道宣言書」によって組合教会はその宣言のもとで1920年に起こった呂運亨事件に関する事柄と朝鮮伝道の活動を行なったとされる。(65)呂運亨事件は当時の日本の総督府が「3・1独立運動」を行なった朝鮮人キリスト者を自国にとって都合の悪い危険な者であるとし、これを日本人に同化させ、鎮静化し排除することを組合教会に行なわせた事件で、事件の発端から収拾まで組合教会朝鮮伝道部が関わっていた。それは同年に大韓民国臨時政府外交部次長であった呂運亨らを来日させ、呂が朝鮮独立は世界平和につながると語り、その演説が日本で激しい議論を呼ぶに至り、後に呂は発言を撤回させられるに至ったものであった。(66)

当時の組合教会の朝鮮伝道論を要約すると、宗教家、日本国民として誇りを与えるキリスト者として、組合教会が朝鮮民族の精神的指導者とならなければならないということであった。その朝鮮伝道に対して、寺内正毅、大隈重信、同志社創立を支援した渋沢栄一が後援し、岩崎、三井、住友、古河らの財閥が寄付を行なった。しかし、そもそも渡瀬は、押川方義が本多庸一らキリスト教関係者と共に1894年に設立した大日本海外教育会の朝鮮京城学堂で教育活動に従事していたのである。(67)この教育会は日本の文化政策のためのもので、伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一がその賛助者であった。
 組合教会の中でも湯浅治郎を始めとして、吉野作造、柏木義円らはキリスト教信仰に根ざして朝鮮伝道を批判したが、結果として組合教会は、「3・1独立運動」を予断と偏見で捉え、自らを被害者とした。後に日本の総督府により、ソウルでの朝鮮神社の設立を始めとして、朝鮮のキリスト教会と諸学校への神社参拝、国旗掲揚、宮城遥拝の強制等の皇民化政策が進められ、迫害が行われたため、組合教会が、その植民地支配の土台作りを助けてしまったとも言える。呂運亨事件によって組合教会朝鮮伝道部に対する日本政府からの信頼と支援はなくなり、1921年、日本組合基督教会の第37回総会は朝鮮人教会を朝鮮会衆基督教会として独立させ、組合教会による朝鮮伝道を中止することを決めた。

以上引用

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