ヒラリー・クリントンが、バリバリの共和党保守派(戦争屋)だった過去
2016-11-15


所謂『リベラルメディア』のトランプ叩き、ヒラリー上げが、あまりにも酷いのだが、元々ドナルド・トランプは民主党支持(イラク戦争に反対していた上に、同性婚でさえ容認している共和党系保守派とは全く違う人物)であり、ヒラリー・クリントンは、イラク戦争に賛成した戦争屋で元々共和党支持の保守派だったという『ねじれ選挙』だったことを指摘しているメディアは少ない。

以下、ヒラリーが、バリバリの共和党保守派だった過去。

BBCより引用


○ 1964年 ゴールドウォーター・ガール
今では民主党の大統領候補だが、高校時代のクリントンは「若い共和党員」のひとりで、1960年の大統領選予備選では、バリー・ゴールドウォーター候補の選挙活動に参加していた。
「ミスター保守」とあだなされたアリゾナ州選出の上院議員は1960年に、「保守の良心」という有名な文書を発表。これは後のレーガン大統領の政策目標の原型となり、現在の共和党の政治思想にも大きな影響を与えたとされる。
高校生でまだ選挙権のなかったヒラリーは後に自伝で、ゴールドウォーターの政治信条が掲げる「無骨な個人主義」に惹かれたと書いている。
「私は生まれついての民主党支持者だったわけではない」と書いたクリントンは、1996年に公共ラジオとのインタビューで「私は保守主義の中で育てられたので、私の政治信条は保守主義に根差している」と話した。

以上引用
bbc.com/japanese/features-and-analysis-37892995

で、
バリー・ゴールドウォーター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/27 05:58 UTC 版)


1964年の大統領選挙
ゴールドウォーターはネルソン・ロックフェラーニューヨーク州知事との熾烈な指名争いを勝ち抜き、1964年大統領選挙における共和党の大統領候補に指名された。ゴールドウォーターは、ロックフェラーに代表される共和党の主流派及び穏健派が、実際には民主党の政策と類似した、ニューディール路線を踏襲した政策を実行してきたに過ぎず、共和党の独自色を打ち出していないと批判した。そこで、彼は共和党の本来の主張、「小さな政府」、政府の市場経済への介入の限定化、強硬な反共路線、反共主義に基づくNATO加盟国との協調、NATOの強化、ヴェトナムにおけるドラスティックな解決、を直截な言葉で訴え、国民の前に従来より明確な選択肢を提示した。こうした姿勢から、彼は現代アメリカにおける保守主義運動の先導者と看做されることが多い。同時にアメリカ公民権法に反対し、同法に対する不満を抱く南部の白人層を取り込み、共和党の南部への進出を図った。実際彼は選挙戦で極右とのレッテルを貼られ、特にヴェトナムにおいて核兵器の使用も視野に入るとした彼の発言は、彼が大統領に当選すれば核戦争が勃発するとのジョンソン政権のネガティブ・キャンペーンに利用されてしまった。しかし、公民権法を巡る問題以外での彼とロックフェラーら穏健派との相違点は当時言われたほど大きなものではなく、同じ原理原則に基づいていた。ゴールドウォーターがより急進的、ロックフェラーがより慎重かつ穏健というだけの話であった。1975年に蒋介石が死去した際、当時副大統領だったロックフェラーとゴールドウォーターは葬儀に向かうため同じ飛行機に乗り合わせた。その際ゴールドウォーターとロックフェラーは、実に多くの問題で両者の見解が一致することに気づいた。

wikipedia

というわけで、ヒラリーは最初からバリバリの好戦派の新自由主義者のネオコンだったわけで、ブッシュのイラク戦争に賛成するわ、リビアにいちゃもんつけて爆撃して、金と武器を強奪してISISなどのテロリスト育ててシリア侵攻するわ、最初から最後まで戦争屋です。

それに対して、トランプは、「イラク戦争から戦争に使った600兆円をまともな国内の公共投資に使ったとしたら、こんなに失業多かったり、産業や経済が無茶苦茶になっていなかった。

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