2012-09-20
今回の日中衝突劇を演出した (石原都知事が尖閣諸島購入を相談しに行った)ヘリテージ財団 とは何者なのか?
以下引用
ヘリテージ財団 (Heritage Foundation) は1973年に設立されたアメリカ合衆国ワシントンD.C.に本部を置く保守系シンクタンク。企業の自由、小さな政府、個人の自由、伝統的な米国の価値観、国防の強化などを掲げ、米国政府の政策決定に大きな影響力を持つ。ヘリテージ財団の活動はこれまでのシンクタンクの概念を変化させた。
1973年にスケイフ財団とクアーズ経営者のジョゼフ・クアーズの出資により設立され、保守活動家のポール・ウェイリッチが初代代表となった。1974年以降は共和党の政策委員会顧問やフィリップ・クレーン下院議員のスタッフ経験もあるエドウィン・フュルナーが総裁を務めている。
沿革と主な提言
指導者のための指図書
ヘリテージ財団は1981年に出した政策分析『指導者のための指図書』(Mandate for Leadership) により、その存在が広く知られるようになった。それは政策提言のあり方を変えるものだった。1000ページ強からなる指図書はレーガン政権下で連邦政府の省庁の各部局や多くの機関の政務官に配布され、政策、予算、政権運営などで特に重視された。
冷戦との関わり
ヘリテージ財団は、1980年代から1990年代前半にかけてのレーガン・ドクトリンの主要な立案者かつ支援者だった。米国政府はこれによりアフガニスタン、アンゴラ、カンボジア、ニカラグアなどで反共主義を掲げて公然、非公然諸々の介入を行い抵抗運動を支援した。また冷戦の期間中全世界的に反共主義を支援した。
ヘリテージ財団の外交政策分析者はその活動を研究に限定せず、むしろ、アンゴラでのアンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) への兵器供与、カンボジア、ニカラグア、モザンビーク民族抵抗運動への支援、イラン・コントラ事件での資金提供など、政治的或は軍事的な支援を反政府勢力や東側諸国とソ連における反体制派に与えるための工作に力を注いだ。
財団はソ連が「悪の帝国」であるとして、単なる封じ込めではなく、その敗北を現実的な外交政策目標としたレーガン大統領の信念を実現させるように支援した。また、ヘリテージ財団はレーガンの掲げた弾道ミサイルに対する「戦略防衛構想」の立案においても重要な役割を果たした。
〓 スチュアート・バトラー
自由市場と国内政策
経済面ではヘリテージ財団はサプライサイド経済学を提唱し、レーガノミックスと呼ばれる現象が起こった。また国際的にはウォールストリート・ジャーナルと共同で毎年世界各国の財産権の政府からの自由の度合いを示すとされる経済自由度指数を公表している。指数の指標として、政府の汚職、貿易障壁、所得税とその税率、歳出、法の支配、契約の履行率、規制による負担、銀行規制、労働法規、闇市場の活動などを用いているとされる。
〓 米国のユネスコ脱退を主張、実現。
1994年下院少数派院内幹事ニュート・ギングリッチらはヘリテージ財団の助言を元に選挙公約として「アメリカとの契約」(Contract with America) と題した文書を発表し、共和党の下院議員候補の多くが署名した。世論調査などによれば米国市民の大半はその内容を知らなかったが、保守派の結集により共和党が40年ぶりに勝利を収めた。これを受けてギングリッチらは公約の実現を図り、民主党中道左派であった当時のクリントン政権にほぼ受け入れられた。
方針の影響
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