自民党総裁選から考える、ムサシと不正選挙疑惑
2013-01-14


さて、不正選挙疑惑ですが、本澤二郎の「日本の風景」(1251)で
<消えない「ムサシ」独占投開票疑惑>
[URL]

というのをやっていて、自民党福田派の秘書の方に聞いています。

以下引用

<旧福田派秘書も「怪しい」と指摘>

そこで旧福田派の内情に詳しい元同派秘書に聞いてみた。彼は福田から安倍・森・小泉・安倍晋・福田康の裏事情にことのほか明るい人物である。
 その彼が「初めて聞いた」と腰を抜かしたのだ。ということは、上場もされている「ムサシ」について、派内でも秘密扱いされてきたことになる。「自民党総裁選で誤魔化しがあった」とする元秘書は「1民間企業の独占」選挙の事実に対して、筆者同様に驚愕した。そこから「選挙の不正は行われている」「民主国家としてありえないことだ」と厳しく断じた。

以上引用

[URL]


さて、この秘書の話は本当だろうか?

ちょっと調べてみよう。

ムサシと選挙のあゆみ

1978年(昭和53年) 自動開披投票箱の開発に着手。
自民党総裁選挙投開票事務のコンサルティングを行う。
1980年(昭和55年) 史上初の衆参同日選挙。
自動開披投票用紙の開発に着手。
1981年(昭和56年) 中華民国台湾政府の要請で選挙事務のコンサルティングを行う。
1982年(昭和57年) 自民党総裁選挙投開票事務受託。100万票を3時間で結了。
選挙専用計数機「テラックー武蔵EL」発売。

以上引用

musashinet.co.jp/department/election/election_08.html


というわけで、 ムサシはまず1978年(昭和53年)に自民党総裁選挙投開票事務のコンサルティングを行っていますね。

これに筆者はピンときたわけです。

1978年は、福田赳夫内閣だったのでは??


以下引用

派閥解消を目指して党員・党友投票による自民党総裁予備選挙を導入したが、大福密約の総理総裁2年任期後の大平への政権禅譲を拒否し、「世界が福田を求めている」として自民党総裁選挙に再選をかけて立候補。自民党総裁選では現実には大平正芳候補を支持する田中派が大掛かりな集票作戦を展開する一方で、福田派は派閥解消を主唱する建前や事前調査における圧倒的優勢の結果に油断し、動きが鈍く、当初の下馬評が覆され、福田は大平に大差で敗北した。福田は「予備選で負けた者は国会議員による本選挙出馬を辞退するべき」とかねて発言していたため、本選挙出馬断念に追い込まれることになる。自民党史上、現職が総裁選に敗れたのは、福田赳夫ただ1人である

以上引用 wikipedia

なるほど


ムサシにコンサル頼んだのに負けてますね。


では、いつから総裁選においてムサシが決定的な役割を果たしたのか?


1982年(昭和57年) 自民党総裁選挙投開票事務受託。100万票を3時間で結了。 選挙専用計数機「テラックー武蔵EL」発売。とあります。

随分開票速いですよね。

これは、新方式を導入して、ムサシが本格的に自民党総裁選を仕切ったのでしょう。


で、どうなったのか?

1982年11月24日 - 中曽根康弘・行政管理庁長官、自民党総裁予備選で圧勝。
11月27日 - 第1次中曽根内閣発足。田中派の7人入閣。

うわ、鈴木善幸改造内閣が敗れ、中曽根政権誕生


なるほどね。。

では、鈴木善幸改造内閣の選挙担当=自治大臣・国家公安委員会委員長を見てみましょうか。

あ、世耕政隆

なるほど、分りやす過ぎ!


続きを読む

[情報統制]
[不正選挙]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット