事故前に集中的に補修されていた!中央自動車道笹子トンネルの天井板落下事故 つづき
2013-02-10





事故前に集中的に補修されていた!中央自動車道笹子トンネルの天井板落下事故
[URL]
のつづき


まずは、恒例の笹子トンネルの地元政治家から


山梨県第1区(やまなしけんだい1く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。


甲府市(旧中道町と旧上九一色村北部の区域を除く)
甲州市
山梨市
笛吹市(旧春日居町の区域のみ)


宮川 典子(みやがわ のりこ、1979年(昭和54年)4月5日 - 、)は日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。自由民主党山梨県第1選挙区支部長。

人物
山梨県山梨市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、教師として母校でもある山梨学院大学附属中学高等学校に英語教師として奉職。5年間務めた後、2007年(平成19年)に退職し松下政経塾に入塾。同期には後に自由民主党所属の議員となった宇都隆史、熊谷大、中西祐介らがいる。
入塾中に自由民主党山梨県参議院選挙区第2支部長に就任。卒塾した2010年(平成22年)には自由民主党公認候補として第22回参議院議員通常選挙に山梨選挙区から出馬。教育改革を訴え、対抗馬の輿石東の出身であり支持母体でもある日本教職員組合の批判を展開したが3700票の僅差で敗れた。
その後は、自由民主党山梨県第1選挙区支部長に就任し衆議院に鞍替え、2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙に山梨県第1区から出馬。元環境大臣で民主党から日本維新の会に鞍替えした小沢鋭仁を破り初当選を果たした[1]。

wikipedia

松下政経塾の自民党議員新人ですね。




もう一人、比例復活で、日本維新の会が当選
これが、事故当時の地元政治家。
民主から維新に鞍替え。



以下、興味深いので、長く引用します。



小沢 鋭仁(おざわ さきひと、1954年5月31日 ‐ )は、日本の政治家。学位は政治学修士(埼玉大学)。衆議院議員(7期)、東京大学大学院新領域創成科学研究科講師、日本維新の会国会議員団国会対策委員長、21世紀国家ビジョン研究会会長。
衆議院環境委員長、環境大臣(第13・14代)などを歴任した。

来歴・人物
生い立ち [
山梨県甲府市生まれ。山梨大学教育学部附属中学校、山梨県立甲府南高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、野口悠紀雄、榊原英資の共同研究室で3年間、政策科学や経済学を学ぶ。埼玉大学大学院政策科学研究科(現政策研究大学院大学)で政治学修士号を取得した。
1981年、東京銀行入行。1983年、自由民主党の浜田卓二郎衆議院議員の誘いを受け、政策集団「自由社会フォーラム」事務局長に就任する。小沢は自由社会フォーラムで政策立案を担当した。


日本新党からグループ青雲へ
1992年、細川護煕の日本新党結党に参加。1993年の第40回衆議院議員総選挙には日本新党公認で山梨県全県区から出馬し、初当選を果たした。細川内閣の下では、日本新党政策委員会委員長に就任する。日本新党の中では小沢は日本新党・新党さきがけの合流に積極的な親さきがけ派であったが、細川首相が内閣官房長官であった新党さきがけの武村正義代表を疎んじ小沢一郎新生党代表幹事に傾斜するにつれ、日本新党内も親さきがけ、反さきがけグループに分裂し、1994年4月の細川内閣退陣後、小沢は日本新党を離党。同様に日本新党を離党した五十嵐文彦、中島章夫らと院内会派「グループ青雲」を結成。1994年7月、遅れて日本新党を離党した荒井聰、枝野幸男、高見裕一、前原誠司らが結成した院内会派「民主の風」と共に、新党さきがけに合流する。

新党さきがけ合流後 [

続きを読む

[情報統制]
[TPP]
[不正選挙]

コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット