ところで、アメリカ軍が「ダッハウ収容所」を解放した時、「毒物」の所在を示す「ドクロマーク」がついた部屋を発見した。そして、その部屋の中には、これまたドクロマークのついたシアン化合物「チクロンB」の缶が、大量に残されていた。驚いたアメリカ軍は、「ガス室」の決定的証拠として、このドクロマークの付いた部屋の「写真」を世界に発表した。
しかし、のちにそれは「消毒室」だったと訂正された。ドクロマークの付いた部屋はチフスを媒介するシラミを退治するための「消毒室」だったのである。この「消毒室」では、衣類やマットなどからチフスの病原体を媒介するシラミを駆除するために、「チクロンB」が使われていたのだ。
●「チクロンB」という名前の響きから、オウム事件で使われた「サリン」と同じように、殺人用に開発された毒物だと思ってしまいがちだが、当時のドイツ社会では「チクロンB」は一般に生産・販売され、殺虫作業などに広く使用されていたことで知られている。「DDT」を持たなかったドイツ軍は、この「チクロンB」をシラミ駆除の殺虫剤として使用していたのである。(「チクロンB」は1923年に開発された)。
結局、ガス殺があったとされる「ダッハウ収容所=絶滅収容所」説は、戦後15年たってから公式に否定されたのだが、「ダッハウ収容所」と同じタイプの「消毒室」は、「アウシュヴィッツ収容所」にもあった。アウシュヴィッツでも、シラミ駆除のために「消毒室」で「チクロンB」が使用されていたのである。これは公式に認められている事実である。
以下全文は
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一番重要なのは、チフスで死んだということです。
それも、ものすごい数の人たちが。
で、当ブログは、以前こういう記事を書きました。
『ユダヤ人』は、なぜ殺されたのか??(原爆ホロコーストと『ユダヤ人』大量死の関係とは??)1/2
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『ユダヤ人』は、なぜ殺されたのか??(原爆ホロコーストと『ユダヤ人』大量死の関係とは??)2/2
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以下、途中から
なぜこのようなパンデミックが起きたのか?
考えられることは以下のことです。
すなわち、連合軍は、ナチスドイツを打ち負かすために、ナチスドイツの武器生産施設を破壊し、人々を殺戮する必要があった。
しかし、同時に、米国は、欧州から米国へ逃げてきたユダヤ人とレッテルを貼られた技術者達(当然のことながら、核の優秀な技術者に、わざとユダヤ人というレッテルを貼らせたのでしょう)を、『ユダヤ人をナチスの犯罪から守る』という名目で、原爆の開発を手伝わせていたので、『ユダヤ人やロマ人と名付けられた人たちの強制収容所』を(東京大空襲と同じように)空から爆撃する事が出来なかった。
そこで、『ユダヤ人やロマ人と名付けられた人たち』は、密かに死んでもらう必要があった。
そこで、強制収容所に潜入したスパイが、生物化学兵器として強力な致死作用を持つチフスを持ち込んだ。
チフスで人がバタバタと死んだので、強制収容所では、死んだ遺体からチフスが他の労働者に感染しないように(労働者が居なくなると武器を生産出来ずに戦争に負けてしまうという理由から)、大事なガソリンや石油を使って焼却する必要があった。
この焼却の手伝いに、『ユダヤ人やロマ人と名付けられた労働者』も参加させられた。
それでも、生物化学兵器であるために、どんどん人々が死んでいき、燃料も足りずに、焼却出来ずに、遺体がどんどん積み上げられていった。
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