平和目的核爆発と平和目的核爆発制限条約
2014-05-17


人工地震や気象兵器の敵対的使用の禁止条約である
環境改変技術 敵対的使用禁止条約 1977年の全文
[URL]

っていうのは、前やりましたが、



wikiってたら、こんなの発見

つうか、こんなのあるのか。。


以下引用


平和的核爆発(へいわてきかくばくはつ Peaceful nuclear explosions,PNEs)は核爆発を巨大な発破と捉え、土木工事や採掘など平和的に利用することである。1960年代から1970年代にかけて、アメリカ合衆国やソビエト連邦で何度か試みられた。1968年の核拡散防止条約において、非核保有国の締約国は国際的監視の下で平和的核爆発を行うことができるとされている。


概要
核爆発の巨大な威力を軍事用途のみならず、民生用に用いる構想は早期より存在したが、実用化が図られるようになったのは1950年代に入ってからのことである。爆圧・爆風による土砂の移動のみならず、高熱による空洞の生成、衝撃波による地層の破砕も期待されていた。


オイルシェールの採掘に関しては、詳細に検討されている。地下核爆発により生じた空洞は地層の崩落により、縦方向へ拡大し空洞とほぼ同じ面積を持つ縦坑(チムニー)が形成される。このチムニー空間においては、岩石が破砕されているのみならず、核爆発の熱により蒸留作用が生じ、石油の回収が行ないやすくなる[1][2]。


平和的核爆発においては、核分裂による爆発(原子爆弾によるものと同等)より、核出力が高い一方で崩壊生成物が比較的少ない核融合による爆発(水素爆弾によるものと同等)が用いられる。


アメリカ合衆国の例
1958年にはチャリオット作戦の名称で、アラスカ州に平和的核爆発により港を掘削する計画があったが、これは実行されなかった。次にプラウシェア作戦の名称で1961年から1973年にかけて28回の核爆発が行われた。ネバダ核実験場で核実験が行われ、1962年7月6日にはセダン核実験によりネバダ核実験場においてクレーター作成の実験が行われている。第2パナマ運河の掘削[3]や油田開発などに用いることが構想されたが、放射能汚染問題を解決できず、1977年には予算が打ち切られ、実用化はなされなかった。


ソビエト連邦の例
ソビエト連邦では"国家経済のための核爆発"(Nuclear Explosions for the National Economy)の名称で1965年から1988年にかけて、239回の平和的核爆発の実験が行われた。目的はアメリカ合衆国と同じく土木工事目的が中心である。
1965年、実験的にチャガン核実験が行われ貯水池が形成された。
1976年にはシベリアから北極海に注ぐ河川を逆流させ中央アジアの乾燥地帯に注ぐプロジェクトを1981年からの第11次五カ年計画に間に合わせることを決定した。同年、ペチョラ川とカマ川間を3個の核爆薬で掘削し、深さ3-5m、幅350m、長さ700mの溝が形成された。しかし海外からの批判を受け、プロジェクトは中止となった[3]。
ロシア国内ではガス田火災消火や化学兵器の廃棄に有効だと唱えるものもいる。


エジプトの例
西ドイツは1970年代にエジプト西部のカッタラ窪地に地中海の水を取り込み、水力発電を行うため水路の建設に1から1.5Mtの核爆薬213基を地下100から150mに設置・爆破する平和的核爆発の検討を行っている。従来工法でトンネルを開削する案に対し、核掘削による水路建設案は15%の費用で済む一方で2倍の流量を実現できると算定された[3]。


その他の提案
この他、クラ地峡運河の建設計画においてPNEの利用が検討された[3]。

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