1964年12月7日、勲一等旭日大綬章を入間基地で浦茂航空幕僚長から授与された[注 3]。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである[25]。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された[26]。
叙勲は、浦茂幕僚長がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査、審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている[27]。推薦は防衛庁長官小泉純也と外務大臣椎名悦三郎の連名で行われる[28]。防衛庁から首相佐藤栄作、賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった[29]。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである[30]。
wikipedia
はい、その航空自衛隊司令部が、311によって横田基地に移転しましたね。
航空自衛隊出身の防衛大臣誕生とオウムの菊池直子逮捕
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誰でも逮捕可能な児童ポルノ法改正案参院も通過 その裏側を詳細分析
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そういえば、樹木希林って、娘が米軍情報部のジャニーさんのところの本木くんと結婚してましたよね。
で、筆者の選挙区では、旦那の内田裕也の支援を受けて、生活の党(当時、そうか大学大学院が幹事長)から山口あずさが、原発反対を掲げて立候補。
元日本赤軍と、山口あずさと、共産党の3つで、原発反対の票を分断して票をごまかしつつ、自民・公明を勝たせてました。
スゴイ仕組みですよね。
これが功績ですかね。
こんな人も。。
竹内 行夫(たけうち ゆきお、1943年7月20日 - )は、日本の元外交官、元最高裁判所判事。外務事務次官、外務省北米局長などを歴任。奈良県出身。
人物
小泉政権において、いわゆる田中真紀子騒動で前任の野上義二が更迭されたことにより、駐インドネシア大使から事務次官に就任。外務省内の語学派閥では「アメリカンスクール」に属し、日米同盟を固守する立場をとった。次官在任中には、イラク戦争を支持したほか、小泉純一郎首相の訪朝が実現している。しかし、田中均外務審議官による北朝鮮との独自ルートによる秘密外交問題に対して、当初は秘密外交を追認していたが、世論の批判が高まり、最終的に田中を退官させた。また、イラク戦争に反対した天木直人駐レバノン大使を辞任させている。天木によれば、竹内は「君は組織の枠を踏み外してしまったんだよ」と批判したという[1]。外務省では一、二を争う国際法規に明るい人物とされる[2]。
第2次安倍内閣が集団的自衛権の行使を2014年6月に閣議決定で“合憲”としたことについては、「憲法の理念を守っており、許される範囲の変更だ」「憲法が覆されるなら断ればいい」「今回の行使容認は極めて抑制的なものだ。朝日の報道には疑問を感じる」と、朝日新聞のインタビューで述べている[3]。一方、五十嵐仁は竹内のこの回答を「何だ、かだ、言っても、他国の戦争に日本が加わろうというもの。個人の判断と希望を述べているに過ぎない。屁理屈だ」と批判している[4]。
略歴
1943年7月20日生まれ
1962年3月 - 奈良女子大学文学部附属高等学校卒業
1966年3月 - 京都大学法学部卒業
1967年4月 - 外務省入省
同期に、大島賢三、高野紀元、阿南惟茂、天江喜七郎、上田秀明、阿部信泰、山崎隆一郎、黒川祐次など
1998年 - 外務省北米局長
1999年 - 外務省総合外交政策局長
2001年 - 駐インドネシア大使
2002年2月 - 外務事務次官
2005年1月 - 外務事務次官退任、外務省顧問就任
2007年 - 政策研究大学院大学連携教授
2008年10月21日 - 最高裁判所判事
2009年8月30日 - 第45回総選挙と同時に行われた第21回最高裁判所裁判官国民審査の投票の結果、罷免を可としない(無印)が62,443,553票、罷免を可とする(×印)が4,495,571票となり、信任された。
2013年7月19日 - 最高裁判所判事を定年退官[5]
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