パレスチナ問題の背景にあるもの それはFRBだった
2015-01-19


パリ首脳陣のデモは撮影用 フランス軍の人員削減見直し、ペルシャ湾に空母派遣へ
[URL]
のつづきです。


アベッチがイスラエル訪問中ですが。。

世界の中心がセントルイスになっており、
セントルイスを見ろっていう話がありまして調べていたのですが。

以下wiki


セントルイス
繁栄
1874年にはイーズ橋が完成。1904年には万国博覧会が開催され、その併設イベントとしてアメリカ大陸で初めてセントルイスオリンピックが開催され、アメリカにおける地位と注目を高める。
その後、鉄道網の発達により水運は衰退、地位を落とすが、1910年代にはシカゴと並ぶ鉄道のハブとして鉄道関連の産業が発達、1920年代以降の自動車の大衆化に合わせアメリカの東西を結ぶルート66とルート40(英語版)の通過地となり、さらに自動車製造大手のクライスラーが主要工場を構えるなど、デトロイトに次ぐ自動車工業都市として繁栄した。

他にも「バドワイザー」で有名なアンハイザー・ブッシュ、航空機大手マクドネル・ダグラス(現ボーイング傘下)や化学薬品大手のモンサントの本社や、トランス・ワールド航空のハブも置かれた他、中西部きっての名門私立大学であるワシントン大学やセントルイス大学、連邦準備銀行が置かれるなど、1950年代以降には一帯の商業、経済中枢として最盛期には90万人近い人口を数えた。

wikipedia

以上のようにモンサントの本社があるのが、セントルイス

連邦準備銀行FRBもあるようです。


セントルイス連邦準備銀行(セントルイスれんぽうじゅんびぎんこう、Federal Reserve Bank of St. Louis)は、ミズーリ州セントルイスに本店を置く連邦準備銀行のひとつである。現在の総裁はジェームズ・ブラード。管轄は第8地区でアーカンソー州、イリノイ州南部、インディアナ州南部、ケンタッキー州西部、ミシシッピ州北部、ミズーリ州東部、テネシー州西部がこれに含まれ、リトルロック、ルイビル、メンフィスに支店を構える。現在の総裁は、ジェームズ・ブラード(James B. Bullard、第12代総裁、2008年4月1日 - )である。
1960年代にダリル・フランシス総裁、ホーマー・ジョーンズ研究局長の後押しから、行内エコノミストらが貨幣の増加率とインフレ率のあいだに存在する比例関係をといた研究成果を公表。当時もてはやされていたマネタリズム信奉により連邦準備制度独立機関として信望を獲得し、また今なおそれら研究がマネタリストの一般的な考え方に広く採り入れられている。
今日においては膨大な量の各種統計資料を有し、その規模はアメリカ国内最大データベースのひとつとなっている。
現在のパレスチナ自治政府首相のサラーム・ファイヤードは、かつてセントルイス連邦銀行につとめており、ディビシア集計の初期研究に携わっていた。

wikipedia


なんだって??
パレスチナ自治政府首相のサラーム・ファイヤードは、かつてセントルイス連邦準備銀行につとめており、ディビシア集計の初期研究に携わっていた


本当ですか??

以下wiki

サラーム・ファイヤード(アラビア語: 〓〓〓〓 〓〓〓〓〓、Sal〓m Fay〓〓、1952年4月12日 - )は、パレスチナの政治家。前首相(第5代)、前財務長官、立法評議会議員(1期)。日本語メディアでは、サラム・ファイヤドと表記されることが多い。
外務長官を務めた。


概要
ヨルダン川西岸地区にあるナーブルス近郊のデイル・アル=グスーン(英語版、アラビア語版)出身。
1987年、国際通貨基金(IMF)の長官補佐官に就任。1992年の長官顧問を経て、1996年よりIMFヨルダン川西岸地区・ガザ地区代表に就任。

政界入り
2002年、首相に就任したマフムード・アッバースにその財政手腕を買われ、パレスチナ自治政府の財務長官に就任。アッバースは1年で首相を退任するも、後任のアフマド・クレイ内閣でも財務長官に再任された。

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[通貨戦争]

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