安倍首相の訪米日程詳細 だそうですが
以下引用
4月26日ボストン:J・Fケネディ図書館をキャロライン・ケネディ駐日大使の案内で訪問。ジョン・ケリー国務長官私邸で晩餐会出席。
同27日ボストン:ボストン・マラソンのテロ現場にて献花。ハーバード大学でスピーチ、学生との質疑応答。マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボ視察(ノーベル賞受賞の利根川進教授が案内)、ワシントンDCへ移動。
同27日午後ワシントンDC:アーリントン墓地で献花・ホロコースト記念館訪問。
同28日ワシントンDC:ホワイトハウスで歓迎式典、オバマ大統領と日米首脳会談・共同記者会見、バイデン副大統領、ケリー国務長官との昼食会、オバマ大統領主催の公式晩餐会。
同29日ワシントンDC:上下両院合同会議で演説。ベイナー下院議長主催のレセプション、有力上院議員との懇談会、笹川平和財団主催のシンポジウム出席・スピーチ、駐米日本大使公邸で日米関係者を招いて夕食会。
同30日午前ワシントンDC:米科学アカデミー主催の朝食会、サンフランシスコに移動。
同30日午後サンフランシスコ:米イノベーション企業家ラウンドテーブルとの懇談会、スタンフォード大学ダニエル・オキモト教授主催のシンポジウム出席、シリコンバレー(テスラモーターズなど)視察、グラッドストン研究所訪問(ノーベル賞受賞の山中伸弥教授らと懇談)、ブラウン・カリフォルニア州知事と会談、日米交流に尽力した約100人を招いたレセプション、ロサンゼルスに移動。
5月1日午後ロサンゼルス:日米交流関係者との昼食、日米経済フォーラム出席、在留邦人によるイベント参加、日系人部隊記念碑献花、全米日系人博物館訪問、同行記者団との内政懇談。
同2日午前ロサンゼルス:交流イベントを検討中、同午後政府専用機で帰国の途へ(帰国は日本時間3日午前)。
以上引用
安倍、念願の正式訪米も、オバマは1日しか相手をせず。演説以外は寂しい日程(日本がアブナイ!)
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ベイナー下院議長って誰??
以下wiki
ジョン・アンドリュー・ベイナー(英語: John Andrew Boehner、1949年11月17日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。共和党所属。第61代合衆国下院議長。
経歴
生い立ち
1949年、オハイオ州・シンシナティ近郊のレディングに12人兄弟の次男に生まれる。ベトナム戦争中の1968年に海軍に徴兵されるが、身体の故障により訓練期間中に名誉除隊。実家は裕福ではなかったが、苦学しゼイビアー大学に進み経営学の学士号を取得。大学卒業後はプラスチック関係の地元中小企業に就職して成功を収め、経営者となった。1984年には地元・オハイオ州の州下院選第57選挙区で当選、1990年まで務める。
国政進出
オハイオ州の連邦下院選区割(2003年 - 2012年)。8区(左側のオレンジ色)はシンシナティやデイトンの近郊。
1990年に地元・オハイオ州第8選挙区から連邦下院選に出馬、以来10期当選。初期の頃には、下院の綱紀粛正活動で注目を集め、同期当選のリック・サントラムらと共に「七人組」(Gang of Seven)と称される。後に下院議長を務めるニュート・ギングリッチの側近となり薫陶を受け、ギングリッチが1994年の中間選挙で保守革命・「米国との契約」を掲げ与野党逆転を実現すると、下院共和党№4のポストである下院共和党会議議長に就任するなど順調にキャリアを積み重ねていた。しかし1999年、ギングリッチが前年の中間選挙で共和党が下院の議席数を減らしたことの責任を取る形で下院議長を辞任すると、それに連座し無役となった。
院内総務就任
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