覚せい剤と戦争その2 アンフェタミンと満州事変
2015-05-17


8月1日 - 八十二銀行設立(第十九銀行と六十三銀行が合併)
8月10日 - 鎌倉御用邸廃止
8月25日 - 羽田飛行場(後の東京国際空港)開港
8月25日 - イギリスでマクドナルド挙国一致内閣成立
8月31日 - 江蘇省で水害(30万人溺死)

9月1日 - 清水トンネル開通により上越線全通(上野-新潟間が7時間10分に短縮)
9月18日 - 柳条湖事件(満州事変勃発)
9月21日 - 林銑十郎による独断越境進撃

10月1日 - 国立公園法施行
10月17日 - 錦旗革命事件。橋本欣五郎中佐(桜会)らによる軍部内閣樹立クーデター発覚・拘禁
宇野弘蔵と山田盛太郎「資本論体系」。

11月1日 - 松屋浅草店開業
11月2日 - 東京科学博物館開館式
11月7日 - 大阪城天守閣再建(地上で現存する世界最古の鉄骨鉄筋コンクリート造建物)、大阪城公園開園
11月25日 - 大百科事典(平凡社)刊行
11月27日 - 中華ソビエト共和国臨時政府樹立

12月5日 - ソ連共産党政治局の指令によりモスクワの救世主ハリストス大聖堂が爆破解体される。
12月6日 - 岡倉天心銅像除幕式(東京美術学校前庭)
12月11日 - 安達内相が辞任勧告を拒否。内閣不統一により第2次若槻内閣総辞職
12月13日
犬養毅内閣成立
金輸出再禁止令公布施行
12月15日 - 中島飛行機株式会社設立
12月16日 - 東京浅草オペラ館開場。エノケンが旗揚公演
12月23日 - 第60議会召集。
12月25日 - 東京中央郵便局完成
12月31日 - ムーランルージュ新宿座開場
wikipedia


満洲事変が起きてますね。。


満洲事変(まんしゅうじへん、旧字体: 滿洲事變、英語:Mukden Incident, Manchurian Incident)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍[注釈 1]が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件[注釈 2])に端を発し、関東軍による満州(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。通常「満州事変」と表記されることが多いが、元もと「満州」は「満洲」と表記されていた。「州」と「洲」は新旧漢字の関係ではなく別文字なので、「満洲」が正しいとして、研究者を中心に「満洲」と表記する人も増えている。中国側の呼称は九一八事変[注釈 3]。
関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。
この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化した。満洲国の建国により中国市場に関心を持つアメリカら他の列強との対立も深刻化した[注釈 4]。

wikipedia

というわけで、アンフェタミンが販売開始された1931年に満洲事変が起き、日本は戦争の泥沼へとはまり込んでいくことになるわけです。

満州事変を起こしたのって誰なのでしょうね。。


ちなみに、アンフェタミンを製造・販売したのは、スミス・クライン&フレンチ社。つまり、当ブログでも毎度おなじみの、現在のグラクソスミスクラインです。


日本国内では、武田薬品がゼドリンRの商標でアンフェタミン製剤を発売していたそうです。


そのあたり、現在も人脈は、全く変わっていません。

以下過去記事より


武田薬品の取締役・監査役略歴

以下引用


取締役 山田忠孝(Tadataka Yamada)
2000年12月 グラクソ・スミスクライン社研究開発部門長
2004年1月 同社取締役 就任
2006年6月 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団
グローバル・ヘルス・プログラム プレジデント 就任(2011年6月まで)
2007年6月 コヴィディエン社取締役 就任
2009年6月 タケダ・グローバル・アドバイザリー・ボード メンバー
2011年1月 アジレント・テクノロジー社取締役(現在に至る)
2011年2月 当社業務執行会議第三部会議長(現在に至る)
2011年6月 当社取締役就任(現在に至る)

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[薬害]

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