大幅追記しています。
『アメリカ・インディアンの歴史』プロパガンダとジェノサイド
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のつづきです。
アメリカ先住民達は、どのようにして土地を奪われたのか?
アメリカ先住民の歴史には、史実と現実の間に乖離がある。
それは、歴史書に描かれていなかった重要な出来事があったことを意味している。
その乖離を埋めるもの。筆者が、まず思いついたのは、アヘンだった。
そこで、アヘンの歴史を調べてみた。
□麻薬性鎮痛薬(ケシ、アヘン、モルヒネ、オピオイド)の年表
shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/history-opium.html
すると、アヘンは、16世紀に歴史の表舞台に現れていたことが分かる。
錬金術師パラケルスス(本名テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム)が、アヘンを万能薬にした。
パラケルススは、15世紀末にスイスで生まれた。
医学と錬金術を合体し、万能薬『ロードナム』(Laudanum)その意味はラテン語laudareで「神を讚える」の意味を作った。
これは、25%のアヘン、ヒヨス、潰した真珠と珊瑚、ムミー(アラビアのタール状の薬)、ベゾアール(牛の腸の結石)、琥珀、麝香、数種の油、鹿の心臓の骨(ただし鹿の心臓に骨は無い)、一角獣(サイの角の粉とも言われている)からなる丸薬で、不死の薬とも言われた万能薬だったそう。
この錬金術の怪しげな薬が、ヨーロッパでのアヘンの普及に役立っていったようだ。
アヘンは、ギリシア医学の警告を超えて広く、数多くの機会に使用されるようになっていった。らしい
参考『麻薬とは何か』「禁断の果実5000年史」
参考url
home.r02.itscom.net/ktym/aldehyde/box11/column-116.html
アヘンが広まったのは、錬金術からなんですね。
これを更に普及させたのが、トマス・シデナム(シドナム)(Thomas Sydenham)(1624~1689)イギリスの内科医でした。
彼は、ワインなどアルコールにアヘンを溶かすという手法を用いて、万能薬『シデナムズ ロードナム』というアヘンチンキを作ります。
これが、世界的に普及していくのです。
シデナムは、臨床医学の父と言われているそうです。
臨床医学の父が作ったのが、アヘンの入ったアルコールだったわけです。
ヒステリー、小舞踏病について記述した最初の人
eonet.ne.jp/~m-hirose/ijinden/9gatu/0910.htm
とありますが、ヒステリー、小舞踏病って、ようするにアヘンの中毒症状のことでしょう。
アヘン入りワインを『万能薬』といって、売りさばいていたわけですから、アヘンの中毒症状が出るのは、極めて当たり前です。
さて、錬金術師パラケルススの作ったアヘン入り万能薬『ローダナム』によって、アヘンが序所に普及していくことになります。(もっとも、その成分からいって、どれほど出回ったのか?は不明なところですが)ともかく、これをきっかけに医薬品用にケシの栽培が行われていくことになるわけです。
では、アヘンの医薬品利用としての知識が伝わったのは、どこか?と言いますと、アラブからだそうです。
アラブから伝わったアヘンが、錬金術師を通して欧州に伝わった。
それを一般に広く広げたのが、臨床医学の父トマス・シデナムが作った、アヘン入リワイン(アヘンチンキ)『シデナムズローダナム』だったわけです。
トマス・シデナム曰く
「全能の神が人々の苦悩を救うために与え賜うた薬物の中でアヘン程万能で有効なものはない」だそうで
このアヘン酒(アヘンチンキ)は、爆発的に普及していきます。
そのため、アヘンの栽培もまた、大規模になっていくわけです。
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