こんな情報も
田中龍作ジャーナル2012年12月17日)
《投票所の繰り上げ状況の中の一部》
〈文・中山栄子〉
※福島県で全市町村繰り上げるのは、この衆院選が初めてのようだ。
・また関東では、群馬県は県内99%の投票所が繰り上がるなど福島県に次ぐ多さだ。
・47都道府県の全ての記事を拾い上げることはできなかったが、ほぼ全域にわたって程度の差こそあれ、投票時間の繰り上げは行われていたとみて間違ない。
・福島県-県内の全投票所(1312ヶ所)で1時間〓最大4時間繰り上げ(100%)
・群馬-99%の投票所で繰り上げ
・秋田-県内85.05%の投票所で繰り上げ
(以下、県と投票所は省略します)
・岩手-県内64.47%で繰り上げ
・宮城-県内57.18%で繰り上げ
・山形-県内13.39%で繰り上げ
・青森-6.1%で繰り上げ
・長野-1501ヶ所の投票所中304ヶ所で1〓3時間繰り上げ。
うち3ヶ所は開始も1時間遅れ。
・愛知-1744ヶ所の投票所のうち63ヶ所で繰り上げ。…
以上、引用
[URL]
ま、この間に何かやってるのでしょうね。
投票の紙作るところから、箱から管理から、人員派遣まで全てやってるのが、株式会社ムサシ ですから。
で、前に読んだことあるのだが
詳しく書いてあるブログ引用させていただきます。
[URL]
自衛隊秘密諜報機関―青桐の戦士と呼ばれて(阿尾博政・講談社:1680円)
これは戦後、日本の自衛隊員が中国本土やロシアで秘密工作をしていたことを、その当事者自身が証言した貴重な本です。
著者の阿尾博政の略歴は「BOOK著者紹介情報」などによると1930年富山県生まれ。
中央大学在学中、ある大物右翼の書生として活動。卒業後は国旗掲揚協賛会
や東南アジア親善協会の運動に携わり、1955年、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校に入学。
富士学校レンジャー研究課程を修了後、習志野の第一空挺団に勤務。その間
に戦時中のスパイ養成機関であった陸軍中野学校の後身の陸上自衛隊調査学校で「対心理情報課程」を学ぶ。
1963年、陸上自衛隊幕僚監部第2部(諜報部門)に異動したあと、日米合同の諜報機関(通称)「ムサシ機関」に勤務し、「ムサシ」の一員として台湾に渡り、台湾とC哀Aとの合同秘密諜報機関に所属して中国本土に潜入した。
その後、自衛隊独自の秘密諜報機関が必要と上層部に具申して認められ、形式的に防衛庁を退職し、実際は自衛隊員でありながら、他の「元自衛隊員」と共に、私人として「阿尾機関」のトップとなり、自衛隊幹部の思想調査など、様々な秘密工作活動を行う。
この頃、70年安保改訂に向けて、安保条約の延長に賛成する世論づくりのためのプロパガンダ活動を組織し、自民党から資金を調達しようとする。しかし、台湾派だった阿尾博政は、中国派の田中角栄幹事長と鋭く対立して、ある会議で田中角栄を暗殺すると口走り、公安調査庁の監視下に置かれる。
困った自衛隊は、何を仕出かすかわからない阿尾博政を再度台湾に派遣する。そこで台湾軍とC哀Aの合同秘密諜報機関に再度所属して、あの有名な「黄金の三角地帯」を支配していた「麻薬王」クンサの組織に派遣され、雲南国民党軍とも接触。
中国共産党との内戦に敗れてミャンマーに逃げた雲南国民党軍は、ミャンマー軍や人民解放軍に攻撃されて消滅したと言われていたが、実際は難民に偽装してミャンマーからタイに逃げ込み、C哀Aの支援でタイ政府の保護されて「麻薬王」クンサや台湾の国民党政府、それに麻薬を扱う中国系犯罪組織と協力して、麻薬取引で軍資金を得ながらタイで活動していた。要するに、C哀Aや台湾の国民党政府も麻薬ビジネスで稼いで活動資金を得ていた。
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