正義による犠牲について あるいは、複雑な系を構成する割合について
2014-04-16


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ちなみに、父親に言わせると、祖父と筆者はそっくりだということらしいですが。。



第二次大戦当時は、父も小倉の兵器工場で働いてました。
背が低かったので、零戦のパイロットになれなかったのです。
今考えると「良かったね。」としか言いようがないのですが、当時は、純粋に憧れていたそうです。
それが、洗脳(教育)ですよね。


兵器工場勤めでしたが、米軍の機銃照射も受けたそうです。



終戦後、父は、ミシン工場に勤め、訳合ってそこを辞め、植木屋になりました。

人を殺す武器が、人の暮らしを守る服を作るミシンになって、それから植木屋

日本の戦後みたいですよね。


木の芽が芽吹くとか、花が咲くとか、紅葉が綺麗とか。。
そういう方が、楽しいよね。って、ほんと、当たり前のことなんですけど


道楽商売と言ってましたけど、『楽しい道』と書いて『道楽』ですよ。


『道楽』良いですよね〓 サイコー


それが許されたのが戦後の日本ということも言えます。


日本で地方に人を呼びたい、活性化したいという人は、まず花や木を植えることだと思います。
花が咲けば、人来ますよ。
数々いろいろ考えてきましたけど、これが人を呼ぶ最高の方法だと思います。
花が咲いていると、どこにも人が集まっています。不思議なくらいに


出来るだけ、その土地の風土や気候にあった花や木を植える

そして、今ある自然は大切にしながら。。



もっとも、父が手がけた素晴らしい庭の数々は、相続税対策のマンション建設によって、どんどん無くなっていってしまいましたが。。

これ、本当にさみしいですよ。。
筆者は、小さい頃から数多く見てきたんですよね、これを。



相続税というのは、身分の公平性を考える人たちにとっては、正義だと思いますけどね。
ここでも、『正義の犠牲』というのが出てくるわけです。


そういうこともなんとかしなくちゃいけません。



ちなみに、筆者の母方の祖母の実家は、福島県の飯館村の隣の付近にあり、絹栽培で有名だったところなのですが、祖母の実家も絹の卸問屋で庄屋でした。
ブルジョワですよね。


戦後、農地改革で、農地を耕していないということになり、土地のほとんどが無くなり、結果として東京に越してきました。
で、貧民になりというパターン。
母方は没落貴族です。

母は15歳から働いてたそうです。


まあ、戦後のGHQ民政局や農地耕している人の正義からすると正義なんですけど、母方の実家の土地は、結果として、現在は、高濃度放射能汚染地帯になっているわけで、チェルノブイリ基準で言えば、強制移住地域ですよね。
とても複雑な気持ちになります。

原発作らせるべきじゃ無かったのです。
ちゃんと、土地の人にとって有利な方法で生きていけるようにしなくてはならなかった。


母方の祖母の実家の土地は、国策によって絹栽培が成され、国策によって排除され、国策によって放射能汚染され、国策によって放射能汚染の実験台になっています。





昔も書きましたけど

筆者は『正義』っていうものに疑いを持っているんですよね。
『正義の犠牲』になる人って山ほど居るんですよ。


大東亜戦争というか第二次世界大戦だって、いろんな勢力が『正義』を掲げて闘いましたよね。
ナチスの正義
ユダヤの正義
共産党の正義
アメリカの正義
朝鮮人の正義
清国の正義
八紘一宇に大東亜共栄圏の正義
などなど

で、沢山人死にました。
何が正義なのか?
人殺されただけじゃん。


誰にとっての正義なのか?
筆者は疑っているのです。




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