インディアンにとって土地は誰のものでもなく、誰かが占有するものではなかった。また、白人の「土地を売買する」という営利行為は、インディアンにはどうしても理解できなかった。白人の勝手な振る舞いは、インディアンたちの怒りを買う一方だった。
1636年7月20日、交易業者のジョン・オルダムという白人が殺害された事で、ピクォート族との関係悪化が決定的となった。
白人側はピクォート族が殺害したと主張し、一方的に犯人の引渡しを要求した。ピクォート族側は殺害していないと主張し、白人側の要求を拒否した。白人側の要求の詳細は不明であるが、個人間の揉め事は個人間で直談判するのがインディアン社会の決まりであったため、白人がインディアンの酋長などに部族民の引き渡しを要求したとしても、個人の意志に反して従わせる権限を持った立場の人間は、インディアンの社会には存在しない。
後にオルダムはインディアンではなく、別の白人に殺害されたとも言われたが、白人側はピクォート族の対応に納得せず、その報復策を練った。
1637年7月、ジョン・メイソン大尉の指導により、ピクォート族と敵対するモヒガン族とナラガンセット族と同盟を結んだイギリス人入植者が、ピクォート族の集落を襲撃した。集落は一方的に破壊され、400人から700人のピクォート族が虐殺された。その多くが女性や子供など非戦闘員だった。生き残ったピクォート族は2つのグループに別れて逃げた。
ピクォート族はロングアイランドへ逃げたグループと、サッサカス酋長たちのグループに二分された。サッサカス酋長たちのグループは、ニューヘブン近くやコネチカット州のフェアフィールド近くで捕まり、白人侵略者たちに殺害されたり、ニューイングランド周辺やバミューダ諸島に奴隷として売り飛ばされた。サッサカス酋長(指導者ではない)自身も逃亡したものの、モホーク族に捕えられて殺害され、彼に導かれたピクォート族グループは事実上根絶やしにされた。その後、ピクォート族の土地はモヒガン族に全て占領された
以上wikipedia
白人がアメリカインディアンに殺されたからといって戦争を仕掛けられ、滅ぼされ、土地を奪われる。
これ、アメリカお得意の『リメンバーなんとか』の始まりですよね。
この後、様々なアメリカ先住民の部族が敵対させられ滅んでいったわけですが、この戦争は
白人が殺される→ハーバード大学の誕生→敵対していた部族を利用したピクォート戦争によるアメリカ先住民の虐殺と土地の奪取
という流れで起きています。
というわけで、そもそも論として、原住民の土地と財産を奪うためにハーバード大学を作った可能性もありそうです。
そして『日中戦争漁父の利計画』のジョセイフ・ナイの方法論は、ハーバード大学作った最初からの方法論なのではないかと思えます。
というわけで、ハーバード大学には、厳重な警戒が必要と思われます。
関連
『感謝祭』の元になった最初の英国人入植者を救ったアメリカ先住民達を滅亡させた黒過ぎるアメリカの歴史
[URL]
アジア人は、アメリカ先住民の歴史を知ることが必要だと思います
[URL]
『アメリカ・インディアンの歴史』プロパガンダとジェノサイド
[URL]
アメリカ先住民達は、どのようにして土地を奪われたのか?アメリカで起きたのは、第一次アヘン戦争?
[URL]
アヘンタバコによる土地収奪方法を編み出したのが、ジョージワシントンの先祖(曾祖父)だったので、アメリカ合衆国の初代大統領は、ジョージワシントンなのではないか?
[URL]
セコメントをする